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永徳寺

(えいとくじ)

永徳寺は、愛媛県大洲市に所在する真言宗御室派の寺院であり、山号は正法山(しょうぼうざん)と称されています。この寺院は、本尊である千手観音を祀る本坊と、飛び地に位置する本尊弥勒菩薩を祀る「弘法大師 御野宿所 十夜ヶ橋」(通称:十夜ヶ橋)という2つの境内で構成されています。

寺院の概要

永徳寺は愛媛県大洲市にある真言宗御室派の寺院で、その歴史と文化に深い結びつきを持っています。特に十夜ヶ橋では、2月3日に『節分厄除け護摩祈祷』が行われ、土用の丑の日には『きゅうり加持』が執り行われるなど、多くの参拝者で賑わう行事が行われています。

十夜ヶ橋について

本尊真言:おん まいたれいや そわか

ご詠歌:行き悩む 浮世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋とおもほゆ

十夜ヶ橋は、松山自動車道大洲インターチェンジと国道56号の交差点付近に位置しており、弘法大師(空海)がこの地で野宿をしたという伝説が残る場所です。この橋は、四国八十八箇所霊場の番外霊場として非常に重要な存在であり、他にも四国別格二十霊場八番札所や、南予七福神七番札所(福禄寿尊)としても知られています。

空海と十夜ヶ橋の伝説

言い伝えによれば、四国を巡錫していた弘法大師が大寶寺に向かう途中でこの地に立ち寄り、日が暮れて宿泊場所が見つからなかったため、小川に架かる橋の下で一夜を過ごしました。その一夜は、暗く長いもので十夜にも感じたと言われ、これが十夜ヶ橋の由来となっています。

この伝説に基づいて橋のたもとには大師堂が建立され、また橋の下には空海が野宿している石像が置かれています。特筆すべきは、十夜ヶ橋の下でのみ「修行」としての野宿が許可されており、参拝者にはござの貸し出しも行われています。また、四国遍路における習慣として、空海が安眠できるよう橋の上では杖をつかないという習慣もここから生まれました。

現在の十夜ヶ橋

現在、この橋は肱川の支流である都谷川(とやがわ)に架かる国道の橋となっており、さらにその上には自動車道の高架橋が架かっています。寛政12年(1800年)の『四国遍礼名所図会』には「十夜橋」と記され「とよのはし」と振り仮名が振られていますが、都谷川の名前から「とやがばし」と呼ぶ人もいます。

また、2018年の西日本豪雨では、十夜ヶ橋の境内が水没し、本堂は建て直しが行われました。

境内の主な施設

本堂

2024年5月12日に落慶した本堂は、素地で等身大の弥勒菩薩坐像が安置されています。本尊の弥勒菩薩坐像は奥の間に鎮座し、中二階が設けられ130名を収容するコンサートが開催できるような造りとなっています。

大師堂

大師堂の本尊は「橋の上に立つ大師像」であり、平成26年(2014年)以降、特別に開帳されています。

奉賛殿

2018年の水害に耐えるために高く設計され、2020年春に新築された奉賛殿は、納経所としても機能しています。

十夜ヶ橋の下

十夜ヶ橋の下には、横たわる弘法大師の石造が2体存在し、参拝者に「修行」としての野宿を体験させています。

その他の施設

境内には、左右に大師像が立ち並び、さらに「なで大師」と呼ばれる像も存在します。

永徳寺本坊

永徳寺の本坊は、大洲市東部の郊外に位置し、十夜ヶ橋の南約1.5kmの山中にあります。本坊は室町時代初期の永徳年間(1381年 – 1384年)に創建されたと伝えられ、この時期の寺号が寺の名称の由来とされています。しかし、火災により多くの記録が失われ、詳細は不明です。その後、江戸時代中期の享保12年(1727年)に再建され、本堂は江戸時代後期の弘化3年(1846年)に建設されましたが、老朽化により平成16年(2004年)に再び建て直されました。

本坊の境内施設

山門

永徳寺本坊の入り口に位置する山門は、寺院の荘厳さを象徴する存在です。

本堂

本坊の本堂は、近代に建て直された建物で、古い歴史を持ちながらも新しい生命が吹き込まれています。

後ろ堂(位牌堂)と庫裡

本坊の後方には、位牌堂や庫裡が配されており、参拝者の祈りの場としての役割を果たしています。

四国別格二十霊場

永徳寺は四国別格二十霊場の8番札所としても知られており、その札所間の距離は出石寺から約29.2km、文殊院から約51.4kmとされています。

このように、永徳寺はその歴史と弘法大師にまつわる伝説、そして四国遍路との深い関わりを持つ寺院として、今日も多くの参拝者が訪れる場所です。

Information

名称
永徳寺
(えいとくじ)

宇和島・大洲

愛媛県