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出石寺

(しゅっせきじ)

出石寺は、愛媛県大洲市に位置する仏教寺院で、真言宗御室派別格本山に属しています。この寺院は「金山(きんざん)」や「光明院(こうみょういん)」とも呼ばれ、本尊は千手千眼観世音菩薩です。地元の人々からは「おいずしさん」という愛称で親しまれており、山号を冠して「金山出石寺」とも称されます。

出石寺の歴史と由来

出石寺の創建は奈良時代初期、養老2年(718年)にさかのぼります。宇和島郷の猟師・作右衛門が鹿を追いかけ、この山に分け入ったところ、鹿が消えた場所から千手観音と地蔵菩薩が現れたという伝説が残っています。これを目の当たりにした作右衛門は、猟師を辞め仏門に帰依し、「道教」と名乗りました。そして、この地に伽藍を建立し「雲峯山出石寺」と称しました。

大同2年(807年)、空海(弘法大師)がこの地を訪れ修行を行い、山の鉱山にちなんで寺号を「金山出石寺」に改めたと伝えられています。また、後世に本尊が秘仏となった経緯も語り継がれています。以後、幾度かの興廃を経て、室町時代末期には藤堂高虎によって再興され、江戸時代には宇和島藩や大洲藩の藩主からも厚い帰依を受け、寺勢を拡大しました。

昭和16年の大火と復興

昭和16年(1941年)、出石寺は大火に見舞われ、伽藍が焼失しましたが、昭和31年(1956年)に再建されました。平成29年(2017年)には、開山1,300年を記念した「いづしまつり」が開催され、50年に一度の本尊開帳が行われました。

出石寺の境内

出石寺の境内は広大で、いくつかの重要な建物や遺跡があります。

本堂

出石寺の本堂は山頂の最も高い場所にあり、秘仏である千手観音が祀られています。この本尊は普段は公開されておらず、代わりに毎年1月3日に前立仏として千手観音の立像が開帳されます。また、釈迦如来坐像と阿弥陀如来坐像が脇仏として祀られています。

大師堂

大師堂は、弘法大師を本尊とし、右脇陣には阿弥陀如来立像、左脇陣には寿老人と観音像が安置されています。これらは拝観可能で、昭和62年に再建されました。

その他の施設

他にも、昭和の大火からの復興を記念した復興塔や、弘法大師が護摩供を行ったと伝えられる護摩ケ石、また、一願成就の仏として信仰される片目地蔵などがあります。

文化財と名勝

出石寺には、歴史的に貴重な文化財や自然の美が残されています。

銅鐘

国の重要文化財に指定されている銅鐘は、大正7年(1918年)に指定され、朝鮮鐘とも呼ばれています。この鐘は高麗王朝時代に朝鮮半島で鋳造され、伝承によれば藤堂高虎が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとされています。

木造釈迦如来坐像

愛媛県指定有形文化財である木造釈迦如来坐像は、檜材の寄木造りで、南北朝時代に作られたとされています。この像は高さ87.5 cmで、清凉寺式釈迦如来の様式を持っています。

カツラの木

また、出石寺の境内にあるカツラの木は、大洲市の天然記念物に指定されています。樹齢は500年を超え、幹周6.4 m、樹高約20 mに及びます。

四国霊場と周辺

出石寺は、四国八十八箇所霊場第四十三番札所準堂や、四国別格二十霊場第七番札所など、数多くの霊場に属しています。また、近隣には「人面岩」と呼ばれる巨石があり、150年前に石工の力石力造によって制作されました。

霊場の位置関係

四国八十八箇所霊場では、43番明石寺から36.5km先に位置し、次の44番札所の大寶寺までは79.1km離れています。四国別格二十霊場では、龍光院から54.5kmの位置にあり、次の札所である十夜ヶ橋へは29.2kmです。

まとめ

出石寺は、長い歴史と豊かな伝統を持つ寺院で、四国霊場の一部として巡礼者に親しまれています。創建以来、多くの信仰を集め、文化財や名勝としても重要な存在です。壮大な景観とともに、歴史ある伽藍や仏像は訪れる者に深い感銘を与え続けています。

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名称
出石寺
(しゅっせきじ)

宇和島・大洲

愛媛県