高昌寺は、愛媛県内子町城廻に位置する曹洞宗の寺院です。この寺院は八日市護国地区(国の重要伝統的建造物群保存地区)の最上部にあり、山号は「護国山」、本尊は聖観音菩薩です。新四国曼荼羅霊場の第五十番札所としても知られています。その歴史は古く、現在までに多くの文化財や歴史的な建造物を保存してきました。
御詠歌:涅槃会の 祭りは今も 尚続く 町並み臨む 楠の木の寺
高昌寺は、嘉吉元年(1441年)に防州の大功円忠によって創建されました。当初は「浄久寺」と呼ばれ、常久寺の地に建てられましたが、天文2年(1535年)、曽根高昌がこの寺に帰依し、寄進を行いました。その後、寺は現在の場所に移され、堂塔伽藍が整備されました。曽根高昌の死後、寺は「護国山高昌寺」に改称され、その後も末寺24ケ寺を擁するほどの隆盛を誇りました。
文化4年(1807年)、火災によって高昌寺の諸堂は焼失しましたが、本尊と開創の像、山門は難を逃れました。翌年から再建が始まり、大洲藩主加藤泰興の寄進により寺は復興を遂げました。再建に際しては、柳沢村から寄贈された良質の楠木が各所に使用され、寺は「楠木寺」とも呼ばれるようになりました。また、伽藍の配置が本山永平寺に似ていることから、「伊予のミニ永平寺」としても知られています。
高昌寺の伽藍は、非常に整った配置が特徴です。主要な建造物として以下のものがあります。
高昌寺の入口に立つ立派な山門は、寺の歴史と威厳を象徴しています。
中雀門は、山門からさらに進んだ場所に位置し、寺の中心部に入る前の門です。
仏殿は大雄殿とも呼ばれ、本尊である聖観音と、両脇仏である毘沙門天、不動明王を拝顔することができます。仏殿は寺の心臓部として重要な役割を果たしています。
開山堂は、仏殿の背後に続く建物で、寺の開山者を祀る場所です。
選仏場は、仏殿の左側に位置し、禅を行うための場所です。修行の場として重要な意味を持ちます。
勧学寮は、仏殿の右側にあり、僧侶が学びを深めるための施設です。
方丈は、住職が住まう場所であり、寺の管理と日常の運営を行う場として機能しています。
鐘楼は、高昌寺の境内に建てられた鐘楼であり、鐘の音が寺の静寂を破ることなく響き渡ります。
高昌寺の涅槃仏は、山門前の境外に位置し、平成10年(1998年)11月に建立されました。全長10メートル、重量200トンという壮大な涅槃仏は、多くの参拝者に崇敬されています。
高昌寺が位置する八日市護国地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。この地域では、木蝋の上芳我邸(重要文化財)や内子座をはじめとする町家や豪商の屋敷など、伝統的な建築物群が点在しています。
高昌寺には、町指定の有形文化財が数多く存在しています。特に注目すべき文化財として、以下のものがあります。
高昌寺の本堂は、再建後の文化財として、歴史的価値が認められています。
寺のシンボルである山門も、町指定有形文化財に指定されています。
中雀門とその周辺の廻廊もまた、文化的価値が高い建造物として評価されています。
位牌堂は、寺の信仰の中心であり、多くの先祖が祀られています。
坐禅堂は、禅宗の修行の場として重要な役割を果たしています。
高昌寺には約30台の駐車スペースが用意されています。周辺には新四国曼荼羅霊場の他の札所もあり、伊豫稲荷神社(第49番札所)や龍澤寺(第51番札所)といった霊場も巡ることができます。
高昌寺は、愛媛県の歴史と文化を象徴する寺院であり、地域の信仰と歴史の中心的な存在です。ぜひ、訪れる際にはその静謐な空気と美しい伽藍を体験してみてください。