長浜大橋は、愛媛県大洲市にある肱川河口を跨ぐ道路橋で、地元では「赤橋」として親しまれています。全体が赤く塗装されているため、この愛称で呼ばれるようになりました。2009年には経済産業省によって「近代化産業遺産」に認定され、さらに2014年12月10日には国の重要文化財に指定されました。
長浜大橋は、橋の中央部分が開閉可能なバスキュール式(跳ね上げ式)可動橋です。この構造により、船が橋の下を通る際に、中央部18メートルが跳ね上がる仕組みになっています。現在では、日本で現存する最古の道路開閉橋としてその歴史的価値が認められています。
完成当初は、塗装はネズミ色でしたが、現在は鮮やかな赤色に変更されています。また、毎週日曜日の13時には、点検を兼ねて開閉される様子を見ることができます。さらに、7月から9月にかけての夏季には、夜間(19時~21時)にイルミネーションが点灯し、美しい景観を楽しむことができます。
長浜大橋の建設が計画された当時、長浜は肱川の水運の要所として栄えていました。肱川を下る木材や木蝋などの物資の積み替えや、川上への生活物資の中継港として機能しており、また漁港としても繁栄していた地域でした。橋が架かる前は、川を挟んで東岸と西岸を結ぶ手段として渡し船が利用されていましたが、交通の利便性を向上させるために橋の建設が強く求められました。
この橋の建設を提案したのは、当時の長浜町長であった西村兵太郎です。舟運を妨げないために、当時としては画期的な可動橋を設置するというアイデアが採用されましたが、この計画は当時の一般にはなかなか理解されず、また政争の影響も受けました。西村町長は政友会と民政党の争いが激化していた時代にあって、県会で激しい反対に遭いましたが、橋の完成を成し遂げます。しかし、その完成からわずか1か月後に、西村は急逝しました。
長浜大橋の建設は1932年(昭和7年)に開始され、1935年(昭和10年)に竣工しました。橋の設計は増田淳が担当し、施工は細野組、大阪鐵工所、安藤鐵工所によって行われました。橋の全長は226メートルで、幅は5.5メートル。開閉部の長さは226メートルであり、その部分の重量は82トンに及びます。この可動橋は現在でも多くの観光客や地元住民によって利用されています。
長浜大橋は、1977年(昭和52年)に河口寄りに国道378号のコンクリート造りの橋梁(新長浜大橋)が架けられたことにより、幹線道路としての役割をそちらに譲りました。しかし、現在でも地元住民の生活道路として利用され、通学路としても重要な役割を果たしています。
長浜大橋の両岸は異なる景観を持ちます。左岸(南岸)は市街地が密集しており、道路幅も狭いのが特徴です。一方、右岸には商店街が広がっており、地元の生活と観光が調和しています。橋名板には「長濱大橋」と旧字体で刻まれており、当時の歴史的な趣を感じることができます。
1998年、長浜大橋は国の登録有形文化財に登録され、その後、2014年には国の重要文化財に指定されました。この橋は、当時の技術力の高さを示すだけでなく、地域の発展に重要な役割を果たした歴史的建造物としても高く評価されています。
長浜大橋はその歴史的価値だけでなく、メディアにも度々登場しています。2006年11月5日放送の日本テレビ系列の番組「ザ!鉄腕!DASH!!」では、TOKIOの長瀬智也と城島茂がソーラーカー「だん吉」で日本一周の旅をする企画の中で、この橋を訪れています。
長浜大橋は、歴史的な価値を持つ可動橋として、地域に密着した生活道路としての役割を今なお果たし続けています。その美しい赤色の姿と、定期的な開閉動作、さらには夏の夜のイルミネーションによって、観光客にも地元住民にも親しまれています。歴史的建造物としての価値とともに、これからも長浜大橋は愛媛県大洲市のシンボルとして存在し続けるでしょう。