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和霊神社

(われい じんじゃ)

和霊神社は、愛媛県宇和島市に位置する神社で、旧社格は県社に属しています。この神社は、宇和島藩家老として藩政を支えた山家清兵衛公頼(やまがせいべい きみより)を祀っており、彼の偉業と悲劇を後世に伝えるために創建されました。宇和島市民にとって、和霊神社は歴史的・文化的に非常に重要な存在です。

和霊神社の祭神と由来

山家清兵衛公頼の功績と悲劇

山家公頼は、伊達政宗の家臣として仕え、その後、政宗の長男・秀宗が宇和島藩に移封された際に彼に従い、宇和島藩の家老として藩政を支えました。宇和島藩は当時、悪政により疲弊していましたが、公頼は租税の軽減や産業の振興に尽力し、藩の復興に大きく貢献しました。しかし、1620年、彼は藩内の嫉妬や讒言により、息子たちとともに藩主・秀宗によって処刑されました。この事件は「和霊騒動」として知られています。

公頼を祀る神社の創建

公頼の死後、彼を慕う領民たちは密かに彼の霊を祀る小さな祠を建てました。しかし、その後、彼を殺害に関与した者たちが次々と変死するなどの異変が起こり、公頼の無実が明らかになりました。1653年(承応2年)、藩主秀宗は彼を祀る正式な神社を創建し、これが現在の和霊神社の始まりとなります。

和霊神社の歴史と発展

遷座の歴史

和霊神社は、その後、参拝者の増加に伴い数度の移転を繰り返しました。最初は城北森安に祀られていましたが、1735年(享保20年)に現在の鎌江城跡に移され、現在もこの場所に鎮座しています。この場所は、宇和島市立城北中学校の近くにあり、市内でも歴史的な風景を楽しむことができます。

戦後の再建と神社の発展

1945年の空襲により和霊神社は焼失しましたが、1957年に再建されました。再建後、和霊神社は地元の信仰の中心としてさらに発展し、その分霊が四国・中国地方を中心に多くの神社に祀られるようになりました。現在、和霊神社の分霊を祀る神社は日本各地に存在し、地域の守護神として多くの人々に信仰されています。

和霊神社の見どころと祭事

境内の特色

和霊神社の境内には、1974年に宇和島市の天然記念物に指定された美しい社叢(しゃそう)があります。この豊かな自然に囲まれた境内は、訪れる人々に安らぎを提供し、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。

和霊大祭と例祭

毎年7月23日・24日に行われる例祭「和霊大祭」は、地元の一大イベントとして知られています。この祭りは、和霊神社の歴史と公頼への敬意を表す重要な行事で、多くの参拝者が訪れます。また、1月2日・3日には、伝統的な刀剣武術「居合い」の奉納が行われ、歴史的な技を披露する場としても注目されています。

和霊神社と仙台の繋がり

山家明神としての信仰

和霊神社は、宇和島藩と伊達家の繋がりから、仙台とも深い関係があります。山家公頼の長男・喜兵衛の子孫である山家豊三郎が、宇和島の和霊神社から分霊を受け、仙台の自宅に「山家明神」として祀りました。この山家明神は後に和霊神社と改称され、現在も仙台に存在します。毎年7月には、仙台市内で「一番町三社まつり」が開催され、和霊神社の神輿も商店街を渡御します。

和霊信仰の広がり

中四国と全国への分布

和霊神社の信仰は、中四国を中心に広がり、現在では全国に159社の分社が存在します。特に高知県や岡山県、愛媛県を中心に多くの神社が勧請されています。これらの神社は、地域の守護神として、また公頼の偉業と精神を伝える場所として大切にされています。

高知県と愛媛県の和霊神社

和霊神社の分社の中でも、特に歴史の古いものとして、高知県四万十町の和霊神社(1737年)と、愛媛県今治市玉川町の和霊神社(1746年)が知られています。これらの神社は、地域の伝説や逸話に基づいて建立され、今も地元の人々に深く信仰されています。

まとめ

和霊神社は、宇和島市の歴史や文化、そして山家清兵衛公頼の偉業を伝える重要な神社です。その独特の歴史的背景と、公頼の悲劇に基づく神霊信仰は、中四国を中心に日本各地に広がり、今も多くの人々に敬愛されています。和霊神社を訪れる際には、境内の美しい自然と共に、公頼の足跡を辿ることができるでしょう。

Information

名称
和霊神社
(われい じんじゃ)

宇和島・大洲

愛媛県