繁多寺は、愛媛県松山市畑寺町に位置する真言宗豊山派の寺院です。寺の号は「東山(ひがしやま)」「瑠璃光院(るりこういん)」で、本尊として薬師如来を祀っています。四国八十八箇所霊場の第五十番札所として多くの参拝者に親しまれています。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ
繁多寺は、松山市を一望できる淡路ヶ峠の中腹に位置しています。寺の周囲には桜や藤、秋の紅葉などが彩る景観が広がり、境内西側には溜め池があり、松山城や瀬戸内海まで見渡せる絶好の展望スポットです。寺院の背後には鬱蒼とした樹木が繁り、その景観は「景観樹林保護地域」に指定されています。
繁多寺は、四国八十八箇所の第五十番札所として、多くの巡礼者が訪れる場所です。境内には、参拝者を迎える山門や薬師如来を祀る本堂、弘法大師を祀る大師堂などが点在しています。
繁多寺の起源は、天平勝宝年間に遡ります。寺伝によれば、孝謙天皇の勅願により、行基が開基したとされています。行基は坐高三尺の如来像を彫り、本尊として祀り、この寺を「光明寺」と称しました。その後、弘仁年間に空海(弘法大師)がこの地で修行を行い、寺号を「東山繁多寺」に改めたと伝えられています。
一時衰退したものの、源頼義により再興され、寺は再び栄えました。1279年(弘安2年)には、後宇多天皇のために聞月上人が祈祷を行ったとされています。また、一遍上人もこの寺で修行を積み、後に「捨聖」として名を馳せました。1288年(正応元年)には、亡き父を偲び、三部経を奉納したとされています。
1394年(応永元年)、後小松天皇の命を受け、京都泉涌寺の26世快翁師が第7世住職に就任しました。その後も多くの高僧が繁多寺の住職を務め、特に1681年から1684年の天和年間には寵湖が徳川家の帰依を受けました。この時、4代将軍家綱の念持仏である歓喜天が祀られることとなり、寺は一時的に66坊を有し、末寺が100余りに達する大寺院となりました。
繁多寺の本堂は、前殿に加えて後殿が増築され、奥行きのある構造が特徴です。本尊である薬師如来坐像は非公開で、その両脇には日光菩薩と月光菩薩が祀られています。また、向かって左側には地蔵菩薩半跏像も見ることができます。
大師堂は、センサーによって参拝者が近づくと弘法大師像がライトアップされる仕組みになっています。堂内には、繁多寺の中興の祖である聞月上人の像も祀られています。
繁多寺の鐘楼には、1696年(元禄9年)に信者の寄進によって鋳造された梵鐘が吊るされています。鐘楼の天井には、中国の「二十四孝」をモチーフにした絵が描かれています。
歓喜天堂には、4代将軍家綱の念持仏である歓喜天が祀られています。この像は絶対秘仏であり、厄除けや商売繁盛、合格祈願など多くの参拝者が訪れます。2006年(平成18年)に再建されました。
境内にはこの他にも、毘沙門天堂や弁財天祠、地蔵堂などが点在しています。地蔵堂には6体の石仏が祀られ、参拝者を迎えます。また、弁財天祠は小さな池のほとりに建ち、池の向かいには石の鳥居とともに歓喜天堂が鎮座しています。
2024年6月24日、繁多寺の境内は「伊予遍路道」に追加指定されることが答申されました。官報告示を経て、正式に指定される予定です。
最寄りの駅は、伊予鉄道横河原線の久米駅です。駅から繁多寺までの距離は約1.7 kmです。
伊予鉄バスを利用する場合、10番線繁多寺口バス停で下車し、そこから寺まで0.8 kmほど歩くことになります。
自動車でのアクセスの場合、県道40号線を通り、畑寺で降りて寺まで0.8 kmです。また、松山自動車道を利用する場合は、松山ICから6.3 kmの距離です。
49番札所:浄土寺(松山市) -- (1.7 km) -- 50番札所:繁多寺 -- (2.8 km) -- 51番札所:石手寺(松山市)