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日尾八幡神社

(ひお はちまん じんじゃ)

日尾八幡神社は、愛媛県松山市に位置する由緒ある神社です。神紋は「左三つ巴」で、かつての社格は県社でした。歴史の深い神社で、地元の人々からの篤い信仰を集めてきました。

概要

日尾八幡神社の創建は、天平勝宝4年(752年)に宇佐より神霊を勧請して久米八幡宮として建立されたことに始まります。以後、数々の天皇の勅願所として社殿が造営され、源頼朝や河野通信、松山藩主である加藤嘉明によって幾度となく再建されました。

神紋

神紋:左三つ巴

祭神

日尾八幡神社には多くの神々が祀られています。

西玉殿

主祭神:品陀和気命(応神天皇)
副祭神:帯仲日子命(仲哀天皇)

中玉殿

主祭神:多紀理毘命(比売神、宗像三女神の一柱)
副祭神:狭依毘売命、多紀都毘売命(いずれも宗像三女神)

東玉殿

主祭神:大帯姫命(神功皇后)

側玉殿

西玉殿側:健内宿禰命
中玉殿側:伊予比売命、饒速日命
東玉殿側:猿田毘古大神

由緒

日尾八幡神社は、愛媛県の久米地区に深く根ざした歴史を持ちます。その創建は、天平勝宝4年(752年)に遡り、宇佐八幡宮から神霊を勧請し、久米八幡宮として建てられました。天平神護元年(765年)には、孝謙天皇の勅願所として社殿が建築され、翌年には完成。神護景雲3年(769年)には、称徳天皇が勅使を送り、神衣が奉納されました。

その後も光仁天皇が宝亀年間に幣帛を奉納するなど、長きにわたって皇室の崇敬を受け、文治年間(1185~1189年)には源頼朝によって社殿が再建されました。承久年間(1219~1221年)には河野通信によって改造され、応永年間(1394~1427年)の火災で社殿や社宝が焼失した後も、河野氏によって再び再建されています。

しかし、天正13年(1585年)の河野氏の滅亡により一時荒廃したものの、松山藩主となった加藤嘉明によって復興し、松山八社八幡の二番社とされました。明治5年(1872年)には郷社、さらに明治12年(1879年)には県社に昇格しました。

境内施設

大鳥居・神門・石段・拝殿

日尾八幡神社の境内には、大鳥居をはじめ、立派な神門や石段が存在し、訪れる者を荘厳な雰囲気で迎え入れます。また、拝殿も美しく整備され、静謐な空気の中で参拝ができます。

境内社

東道後神社

天照皇大神をはじめ、天御中主大神、月夜見大神を祀り、古来より三光神社と称され、脳の守護神としても信仰を集めています。1974年(昭和49年)の改築に伴い、温泉守護としての性格も持つようになり、現在の東道後神社となりました。

杉谷金比羅大権現神社

天明年間に建立され、1975年(昭和50年)に再建されたこの神社は、地域の人々から篤い信仰を集めています。

奈良原神社・生目神社

これらの神社も、境内に存在し、日尾八幡神社と共に地域の人々に崇敬されています。

年中行事

日尾八幡神社では、年間を通して様々な行事が行われています。特に注目されるのは、毎月1日に執り行われる月並祭や、5月3日に開催される大祭です。これらの行事は地域の人々にとって重要な節目となっており、毎年多くの参拝者で賑わいます。

その他の神徳

神社に祀られている伊予比売命は、古くから伊予国の地神として信仰されてきました。久米郡神戸郷古天野神山(現松山市小野町)に祀られていたものの、度重なる洪水により社殿が崩壊し、現在の久米八幡宮に合祀されました。

アクセス情報

日尾八幡神社へのアクセスは非常に便利です。伊予鉄道横河原線の久米駅から徒歩2分、または伊予鉄バス10番線の久米バス停から徒歩1分という立地にあります。周辺には浄土寺や東道後温泉などの観光名所もあり、参拝と共に観光を楽しむことができます。

周辺施設

神社の近くには、四国霊場第四十九番札所である浄土寺や、温泉地としても有名な東道後温泉があります。これらの施設は、参拝と共に訪れることで、より充実した時間を過ごせることでしょう。

この神社は、地元の信仰を集めるだけでなく、観光客にも親しまれるスポットです。ぜひ訪れて、その歴史と神聖な雰囲気を感じ取ってみてください。

Information

名称
日尾八幡神社
(ひお はちまん じんじゃ)

松山・道後温泉

愛媛県