伊丹十三記念館は、愛媛県松山市に位置する博物館で、映画監督や俳優、エッセイストとして多才な活動をしていた伊丹十三の業績やゆかりの品々を展示しています。1997年12月に亡くなった伊丹十三の功績を讃え、その多岐にわたる活動を紹介するために設立されました。博物館は、公益財団法人ITM伊丹記念財団によって運営されており、愛媛県の登録博物館として認定されています。
伊丹十三記念館は、2007年5月15日に松山市東石井に開館しました。この日は、伊丹十三の誕生日でもあります。設立にあたっては、十三の妻であり女優の宮本信子氏が「女房として最後の大仕事」として、愛情を込めて取り組みました。宮本氏は、伊丹十三記念館を「温かく愛情がこもった記念館」とすることを目指し、建設用地は十三と縁の深い一六本舗が提供し、建設費用は宮本氏自身が負担しました。
松山市は、伊丹十三の父である映画監督伊丹万作の出身地であり、十三自身も高校時代を松山で過ごしました。また、十三は松山で後に妹の夫となる作家・大江健三郎と出会い、親交を深めました。このような背景から、松山市は伊丹十三にとって非常に重要な場所であり、記念館の設立地として選ばれたのは自然な流れでした。
伊丹十三記念館の館内には、さまざまな展示施設が設けられています。常設展示室では、伊丹十三の多岐にわたる作品や、彼の人生に関わる貴重な資料が展示されています。企画展示室では、期間限定の特別展示が行われ、訪れるたびに新しい発見があります。また、ミュージアムショップでは、記念品や書籍が販売され、カフェではゆっくりとした時間を過ごすことができます。
記念館の設計は、建築家の中村好文氏が手掛けました。彼は「簡単で、面白く、伊丹十三らしい」設計を目指し、建物はシンプルでありながら独創的なデザインとなっています。特に、ガレージには伊丹十三の愛車であるベントレー・コンチネンタルが展示されており、彼のライフスタイルを垣間見ることができます。
伊丹十三記念館へのアクセスは、伊予鉄バス「天山橋」バス停で下車し、徒歩2分です。また、国道33号線の天山交差点を砥部方面に進み、小野川の手前東側(左手)に位置しています。松山市内からのアクセスも良好で、多くの観光客が訪れやすい立地となっています。
伊丹十三は、51歳という遅咲きながらも映画監督として成功を収めました。1984年のデビュー作『お葬式』から始まり、『タンポポ』『マルサの女』『マルサの女2』『あげまん』『ミンボーの女』『大病人』『スーパーの女』『マルタイの女』など、多くのヒット作を生み出しました。彼の作品は、一般の観客のみならず、映画評論家からも高い評価を受けています。
伊丹十三は、映画監督としてだけでなく、俳優やエッセイスト、CMプランナーなど多岐にわたる分野で活躍しました。俳優としては、1983年に公開された『家族ゲーム』や『細雪』での演技が評価され、キネマ旬報助演男優賞を受賞しました。また、エッセイストとしては『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』『小説より奇なり』など、数々の名作を残しています。
伊丹十三の妻である宮本信子氏は、彼の監督デビュー以降、多くの伊丹作品で主演を務め、作品の成功に大きく貢献しました。また、二人の間に生まれた長男の池内万作氏も俳優として活躍しており、家族全員がそれぞれの分野で成功を収めています。
伊丹十三の功績を称え、彼の名を冠した「伊丹十三賞」が設立されました。この賞は、創造的な表現活動を行う者たちに贈られ、多くの才能を発掘・支援しています。伊丹十三の影響を受けた人物として、映画監督の周防正行氏が挙げられます。彼は、伊丹十三の映画製作現場での経験を通じて、映画監督としての道を歩み始め、日本映画界に大きな影響を与えました。
伊丹十三は、1933年5月15日に映画監督伊丹万作の子として京都市右京区に生まれました。彼の本名は池内義弘(いけうち よしひろ)で、幼少期は「タケチャン」という愛称で呼ばれて育ちました。1946年、京都府立第一中学校に入学しましたが、翌年には父が亡くなり、家庭環境が大きく変わりました。
1950年、愛媛県松山市に移住し、愛媛県立松山東高等学校に転入しました。ここで作家の大江健三郎と出会い、親交を深めました。彼の高校時代は、文藝部誌に創作やエッセイを発表するなど、すでに表現活動に積極的に取り組んでいました。その後、愛媛県立松山南高等学校を卒業し、上京して新東宝編集部に就職しました。
新東宝での映画編集の仕事を経て、伊丹十三は商業デザイナーとして活動を始めました。この時期に山口瞳と出会い、生涯にわたる親交を築きました。また、デザイナーとしての手腕は、晩年に至るまで活かされ、自著の装丁やポスターなどを手がけるなど、多岐にわたる才能を発揮しました。
1960年、26歳の時に大映に入社し、俳優としてデビューしました。その後、外国映画にも出演し、国際的にも注目を集めました。1961年には大映を退社し、映画監督やエッセイストとしての活動を本格化させました。
伊丹十三記念館は、伊丹十三の多才な人生と業績を後世に伝える重要な施設です。映画監督、俳優、エッセイストとして幅広い分野で活躍した彼の足跡を辿ることができ、訪れる人々に彼の魅力を再発見させてくれます。松山市を訪れた際には、ぜひ