岩屋寺は、愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥(ななとり)に位置する真言宗豊山派の寺院で、四国八十八箇所の第四十五番札所として知られています。山号は「海岸山」であり、本尊は不動明王です。この寺は四国霊場の中でも特に険しい山岳霊場として、多くの参拝者に神秘的な魅力を与えています。
岩屋寺の本尊である不動明王は、以下の真言で祈願されます。
本尊真言:「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん」
また、岩屋寺のご詠歌には次のような一節があります。
ご詠歌:「大聖(だいしょう)のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある」
岩屋寺の本堂は標高585メートルの地点にあり、四国八十八箇所の中でも4番目に高い場所に位置します。たとえ公共交通機関を利用しても、参道を30分ほど歩いて登る必要があり、車遍路の最大の難所と言われています。参道の途中には数多くの石仏が重なるように置かれており、右手には金剛界峰、左手には胎蔵峰と呼ばれる天を突くような巨岩に挟まれた荘厳な景色が広がります。
寺伝によれば、岩屋寺は弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)によって創建されました。空海が山中で霊地を探している際に、神通力を持つ法華仙人という女性に出会い、その仙人が帰依して山を献上したことが寺の始まりです。空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は本堂に安置し、石像は奥之院の岩窟に秘仏として祀りました。また、山全体を本尊とすることで、霊場としての風格を備えています。
鎌倉時代には時宗の祖である一遍がこの寺に参篭し、その姿が一遍聖絵にも描かれています。明治7年に初代住職が着任し、第44番札所の大寶寺の奥の院としての位置づけが確立されました。しかし、明治31年に火災により多くの堂宇と宝物が失われ、以後、大正から昭和にかけて順次再建されてきました。
石柱門には、石柱の上に金剛力士(仁王)の小像が立っており、参道の入り口を守るかのような姿をしています。さらに進むと昭和9年(1934年)に建立された山門があり、急坂の参道途中に位置しています。ここからさらに石段を登ると、境内が見えてきます。
昭和2年(1927年)に建立された本堂には、秘仏の不動明王が祀られています。前立ちの不動明王坐像と脇仏の赤い制吒迦童子・白い矜羯羅童子も拝観可能です。一方、大師堂は大正9年(1920年)に建立され、文化財としても重要視されています。
本堂の右側にある梯子を登ると、法華仙人窟の跡があり、さらにその上には阿弥陀窟が存在します。この阿弥陀窟には、手に征鼓を持つ長さ四尺あまりの銅像、飛来の仏である阿弥陀如来立像が祀られています。
本堂の真下には、約20メートルの洞窟があり、ここにはかなえる不動や地蔵尊、弘法大師の石像が安置されています。洞窟の最奥には、地蔵尊の足元から湧き出る清水があり、訪れる人々の心を癒しています。さらに、境内には水子地蔵尊が鎮座しており、悲しみや苦しみを癒す場となっています。
岩屋寺は、数々の文化財に恵まれており、特に重要文化財に指定された大師堂が見どころの一つです。大正9年(1920年)に建立され、伝統的な仏堂建築に西洋建築のディテールを取り入れた独特の様式が特徴です。伊予遍路道や岩屋の名勝指定も受けており、その歴史的価値が認められています。
岩屋寺から浄瑠璃寺に至る遍路道の一部は、古道の景観が維持されており、訪れる人々に往時の巡礼者の足跡を辿らせます。岩屋寺道や浄瑠璃寺道は、2022年に国の史跡に指定され、その歴史的価値が高く評価されています。
岩屋寺には駐車場も整備されており、普通車で訪れる場合は県道から赤い橋を渡って参道の石段を登ることができます。参道の途中には多くの石仏が並び、厳かな雰囲気の中で巡礼を行うことができます。また、境内の各所には、バイオトイレや手水場なども設置され、巡礼者の便宜が図られています。
岩屋寺には宿坊はありませんが、平成26年に完成した遍照閣では、阿字観や写経、写仏の体験ができるなど、さまざまなプログラムが用意されています。入口には倶利伽羅不動、最上階には境内を背に不動明王坐像が鎮座しており、訪れる人々に安らぎを与えています。
鉄道:四国旅客鉄道(JR四国)予讃線「松山駅」
バス:ジェイアール四国バス 久万高原線「松山駅」-「久万中学校前」下車、または伊予鉄南予バス「岩屋寺」下車(0.6 km)
道路:県道12号線 岩屋寺(0.6 km)
岩屋寺は、歴史と自然が調和した神秘的な霊場として、多くの巡礼者や観光客を魅了しています。険しい参道を登り切った先には、荘厳な本堂や数々の石仏があり、訪れる人々に心の平安をもたらしてくれます。四国八十八箇所巡りの旅の中でも、特に思い出深い場所となることでしょう。