文殊院は、愛媛県松山市にある真言宗醍醐派の寺院です。「大法山(だいほうざん)」、「文殊院」、「徳盛寺」とも称されており、本尊は地蔵菩薩と文殊菩薩です。文殊院は、四国八十八箇所の番外札所、四国別格二十霊場の第九番札所、伊予巡錫二十一霊場の第十五番札所、さらに伊予七福神の毘沙門天を祀る寺院でもあります。
文殊院では、本尊として地蔵菩薩と文殊菩薩を祀っています。それぞれの本尊に対する真言は以下の通りです。
おん かかかびさんまえい そわか
おん あらはしゃのう
また、文殊院の御詠歌は「われ人を すくわんための 先だつに みちびきたまう 衛門三郎」です。
文殊院の境内には、長い歴史と伝承があります。元々は空鉢上人によって八窪のある山中に開創された寺で、当時は「徳盛寺」と呼ばれていました。平安時代初期の天長元年(824年)、弘法大師空海が文殊菩薩の導きによってこの地に滞在し、寺の名前を「文殊院」に改めたと言われています。
文殊院は、地元の豪農・衛門三郎にまつわる伝説でも有名です。巡錫中の空海に無礼を働いたことで、衛門三郎の8人の子供が次々と亡くなる悲劇が起こりました。これをきっかけに三郎は改心し、空海に懺悔するために四国を八年間で21回巡拝しました。ようやく空海に出会うことができた三郎は、来世では善行を積みたいと願い、その後命を絶えました。この出来事は、四国遍路の始まりとして伝えられています。
後に文殊院は、衛門三郎の屋敷跡に移転されたとされ、「四国遍路開祖発祥地」として知られるようになりました。
文殊院の本堂には、中央に秘仏の文殊菩薩が安置され、その両脇には二体の地蔵菩薩坐像が祀られています。さらに、両脇陣にも仏像が祀られていますが、詳細は不明です。
遍照殿には、弘法大師像が秘仏として祀られています。
本堂と遍照殿の間にある毘沙門堂では、元旦に毘沙門天像の開帳が行われます。
寺院の本坊も訪れる人々に静かな修行の場を提供しています。
寺院の背後に広がる田園には「八ツ塚」と呼ばれる場所があります。ここには、伝説によれば、衛門三郎の8人の子供たちの墓があり、それぞれの古墳の上には小さな祠と石地蔵が祀られています。
文殊院の南西約1kmの山の中腹にある「八窪」には、空海が持っていた鉄鉢を衛門三郎が叩き落とした際にできた8つの窪みがあるとされています。そこから湧き出る水は「大師お加持水」として信仰を集めています。
役行者堂は、役行者(神変大菩薩)が中央に祀られたお堂で、もとは石鎚山への登山道にありましたが、2024年に閉鎖され、宝物は文殊院本堂に移されました。現在では、お山開き期間(7月1日~10日)にのみ開扉されています。
文殊院の北西にある「八ツ塚群集古墳」は、昭和43年(1968年)10月25日に松山市の記念物(史跡)として指定されました。8基の古墳があり、古墳時代末期の円墳や方墳であると考えられていますが、開発によって一部が変形しています。現在、これらの古墳群は文殊院が所有する境外地に含まれています。
8 十夜ヶ橋 --(国道56号経由 51.4 km)-- 9 文殊院 --(国道11号・県道48号経由 39.7 km)-- 10 西山興隆寺
文殊院は、弘法大師空海の縁に深く関わる寺院であり、四国遍路の発祥地としても重要な役割を果たしています。衛門三郎の伝説や数多くの文化財を持つこの寺院は、歴史的・宗教的に価値が高く、訪れる人々に深い感銘を与えます。