阿沼美神社は、愛媛県松山市に所在する神社です。『延喜式神名帳』に「伊予国温泉郡 阿沼美神社」として名神大社に列しており、歴史的にも重要な神社です。しかし、現在の所在地にはいくつかの説があり、味酒町と平田町にそれぞれ論社が存在しています。神社は歴史的な変遷を経て、現在の姿に至っています。
温泉郡四座の中で唯一の大社であった阿沼美神社ですが、早い段階で衰退し、長い間その所在地は不明でした。現在、味酒町と平田町に論社があり、それぞれが阿沼美神社であると主張していますが、確固たる証拠はまだ見つかっていません。
また、写本には「阿治美神社」と記され、「アジミ」と読むこともあります。この「アジミ」という名称は誤記であるとする説と、「アジミ」は温泉の意味である「熱水(あつみ)」を指すとする説があります。
天保4年(1833年)、平田村の三島新宮社前から南北朝時代の「阿沼美宮」と彫られた石額が発見されました。これを受けて、翌年には神社が阿沼美神社に改称されました。しかし、平田村が温泉郡ではなく和気郡に属していたため、温泉郡味酒村の味酒神社との間で論争が起こりました。味酒神社は明治3年(1870年)に県社に列格し、社号を阿沼美神社に改めました。
阿沼美神社は愛媛県松山市味酒町にあります。旧社格は県社で、神紋は「傍折敷角切縮三文字」で、これは河野氏の家紋と同じです。
阿沼美神社の主祭神は以下の神々です。
また、以下の神々も合祀されています。
阿沼美神社の社伝によれば、越智守興が天智天皇3年(664年)に創建したと伝えられています。久米氏の氏神でもあり、元々は松山城の建つ勝山の頂上に鎮座していました。慶長7年(1602年)、松山城を築く際に現在の味酒村に移され、「味酒神社」と称するようになりました。
松山藩主からも崇敬を集め、当時の味酒神社は松山城の裏鬼門と表鬼門に位置する2か所の行宮所を持っていました。明治3年(1870年)には式内社の阿沼美神社とされ、県社に列格されました。昭和20年(1945年)の松山空襲では社殿を焼失しましたが、昭和32年(1957年)に鉄筋コンクリート造の社殿が完成しました。
阿沼美神社の境内には多くの摂末社があり、神聖な雰囲気を醸し出しています。拝殿には、旧伊予松山藩藩主の嫡流で元愛媛県知事の久松定武が揮毫した社号の額面が掲げられています。
阿沼美神社では多くの祭事が執り行われ、地域の信仰の中心として親しまれています。特に神幸祭では、雷神の千木神輿、大山積命の八角大神輿、高龗神の四角大神輿の三体の神輿が宮出しされるのが特徴です。この祭事は「喧嘩神輿」として知られ、地域の人々にとって重要な行事です。
阿沼美神社は松山市平田町にも存在し、旧社格は郷社です。この神社は、景行天皇の皇子である武国凝別命や、日本武尊の子である十城別王が居住していた場所に鎮座していたと伝えられています。後に河野氏が大山祇神を合祀し、阿沼美三島大明神と称されました。
天明2年(1782年)に本殿から「阿沼美三島新宮」という棟札が発見され、天保4年(1833年)には「阿沼美宮」と彫られた石額が発掘されました。これにより、式内社としての裁許を受けて社号が改められました。
主な祭神は以下の通りです。
所在地: 愛媛県松山市味酒町3-1-1
交通アクセス: 最寄駅は伊予鉄道高浜線・城北線の古町駅で、下車後徒歩5分です。また、伊予鉄道本町線の本町四丁目停留場からも徒歩5分ほどで到着します。
所在地: 愛媛県松山市平田町宮内983
交通アクセス: JR四国予讃線 伊予和気駅から徒歩約20分。車でのアクセスも可能です。