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朝日八幡神社

(あさひ はちまん じんじゃ)

朝日八幡神社は、愛媛県松山市に鎮座する歴史ある神社です。神社の神紋は「左三つ巴」で、古くから地元の人々に信仰されています。

神社の概要

朝日八幡神社は、松山市の中心部に位置しており、地域の氏神として信仰を集めてきました。境内には、四季折々の風景が楽しめる自然が広がり、訪れる人々を魅了しています。

祭神

朝日八幡神社は、以下の神々を主祭神として祀っています。

神社の由緒

朝日八幡神社の歴史は古く、持統天皇の治世(686年 - 697年)に遡ります。当時、仲哀天皇と神功皇后の行宮跡である沼台に、足煩地主神を祀り、沼戸明神(ぬみとみょうじん)と称されていました。その後、現在の大阪府と京都府の境に位置する山崎八幡宮(現在の離宮八幡宮)を勧請し、山崎八幡宮と改称されました。

元弘3年(1333年)には河野通網が神領を献じ、さらに延文6年(1361年)には、貞和年間に戦災で被害を受けた社殿を、河野氏が修理亮の平範有に命じて現在地である朝日谷に再建しました。以後も、歴代の領主や松山藩主によって大切にされ、慶長6年(1601年)には、松山藩主加藤嘉明が城を松前から勝山城に移した際に、朝日八幡神社も松山八社八幡に加えられ、厚く敬われました。

明治以降の歴史

明治3年(1870年)、藩主の勧めに従い、社殿に朝日の差し込む様子から、現在の「朝日八幡神社」に改称されました。しかし、明治20年(1887年)には、社殿が火災で焼失し、その後、明治22年(1889年)に再建されました。明治39年(1906年)には神饌幣帛料供進指定神社となり、翌年には郷社に列しました。昭和57年(1982年)には、本殿の桧皮葺屋根が銅板葺に改修されました。

年中行事

毎年10月6日には例大祭が行われ、翌日の10月7日には神幸祭が催されます。神幸祭では、「喧嘩神輿(鉢合わせ)」と呼ばれる勇壮な行事が行われ、地域の人々や観光客を楽しませています。この伝統行事は、地元の八幡会によって受け継がれています。

神社の特色

朝日八幡神社は、学問の神や交通安全の神としても信仰されています。また、神功皇后が三韓出兵の途中、身重の身体で立ち寄ったことから、安産の神としても親しまれています。本殿の後方には、初期の前方後円墳があり、地元の豪族の墓であったとされています。持統天皇が農民に命じて朝日八幡神社とともに作らせたと伝えられる伝説もあります。

さらに、境内や境外地には奈良原神社、稲荷神社、生目神社、祖霊社、馬神社が祀られ、地域の信仰の中心となっています。

山内神社について

朝日八幡神社の南東隣には、山内神社が鎮座しています。山内神社は、享保の大飢饉の際に功績を残した山内与右衛門久元を祀る神社であり、その神紋は「九曜」です。山内与右衛門は土佐藩初代藩主山内一豊の甥にあたり、松山藩に仕えた人物です。

山内与右衛門の功績

享保17年(1732年)の享保の大飢饉では、松山に多くの餓死者が出ました。山内与右衛門は江戸に詰めていた松山藩主松平定英の命を受け、松山へ戻り実情を報告しました。しかし、翌年、松平定英は心労のために逝去し、後継の松平定喬のもと、山内与右衛門は冤罪で切腹を命じられました。彼は家臣の政権争いの犠牲となったのです。

その後、無実が明らかになり、文化11年(1814年)には、藩主松平定通によって山内神社が建立され、彼の忠義が称えられることとなりました。現在も、毎年4月23日に大祭が行われ、多くの参拝者が訪れます。

アクセスと周辺施設

朝日八幡神社へのアクセスは、JR予讃線の松山駅および伊予鉄道市内電車松山駅前駅から北へ徒歩約20分、または伊予鉄バスの10番線「朝日八幡前」バス停で下車となります。

周辺には、松山総合公園や大宝寺などの観光スポットもあり、神社参拝と合わせて楽しむことができます。大宝寺は、国宝に指定された本堂や、松山市指定天然記念物の「乳母桜(うばざくら)」が見どころです。

関連情報

朝日八幡神社は、松山八社八幡のうち六番社に位置しており、他の八幡神社とともに地域の信仰を支えています。また、奈良原神社や稲荷神社などの境内社もあり、古くから多くの神々が祀られてきた場所です。

愛媛県松山市を訪れた際には、ぜひ朝日八幡神社を参拝し、その歴史と文化に触れてみてください。

Information

名称
朝日八幡神社
(あさひ はちまん じんじゃ)

松山・道後温泉

愛媛県