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愛媛縣護國神社

(えひめけん ごこく じんじゃ)

愛媛縣護國神社は、愛媛県松山市の中心部に位置する護国神社です。神紋は山桜花を使用し、拝殿には高松宮宣仁親王が揮毫した「護國」の額面が掲げられています。これは昭和28年(1953年)の親王参拝時に奉納されたものです。

祭神

愛媛縣護國神社の祭神は、戊辰戦争以降に国のために殉じた愛媛県出身の戦没者や、軍属、女子学徒、看護婦、電話交換手、報国隊、義勇隊の他、富山丸・東予丸の犠牲者、警察官・消防団・自衛隊等の公務殉職者が含まれます。

また、愛媛県民に恩恵をもたらした先賢たちも合祀されています。代表的な人物としては、加藤嘉明、藤堂高虎、久松定行、伊達秀宗をはじめとする藩主たち、足立重信、建武の新政から明治維新に至るまでに国事に殉じた者、産業功労者として義農作兵衛や下見吉二郎、鍵谷カナ、文化人として尾藤二洲、近藤篤山、矢野玄道、正岡子規などが祀られています。神社には合計49727柱が祀られており、その偉業と精神が讃えられています。

参拝者数

愛媛縣護國神社は、毎年初詣で多くの参拝者を集めます。特に年頭三が日には、例年約20万人が訪れ、県内の神社仏閣の中でも最も多くの参拝者が訪れる場所です。

歴史

創建からの歩み

愛媛縣護國神社は、明治32年(1899年)に松山東警察署の場所に私祭招魂社として創建されました。その後、大正2年(1913年)には愛媛県立農業学校の建設に伴い、多賀神社に遷座されました。

護国神社としての再興

昭和14年(1939年)4月、内務大臣指定の愛媛縣護國神社となり、同年10月9日に現在地に遷座しました。しかし、昭和20年(1945年)の戦災により社殿は焼失してしまいました。

復興と再建

その後、昭和26年(1951年)から復興が始まり、昭和30年(1955年)10月に竣工しました。また、昭和41年(1966年)4月18日には、昭和天皇と香淳皇后が第17回全国植樹祭に合わせて愛媛県を訪問され、護国神社がその際の訪問先の一つとなりました。

神社名の変更

連合軍占領下の神道指令により、一時的に「御幸神社」と改称されましたが、昭和27年(1952年)9月に平和条約が締結され、社号は元の「愛媛縣護國神社」に復称されました。

年中行事

愛媛縣護國神社では、毎年様々な祭祀や行事が行われます。これには、年始の初詣の他、春季例大祭や秋季例大祭などが含まれ、県民にとって重要な行事が開催されています。

アクセス

交通手段

愛媛縣護國神社へは、伊予鉄道市内電車の「赤十字病院前停留場」で下車し、徒歩約10分で到着します。神社周辺には、愛媛大学や松山大学、松山赤十字病院などの施設があり、松山市の主要な観光地や学術機関とも近接しています。

まとめ

愛媛縣護國神社は、愛媛県松山市に位置し、県民にとって重要な歴史的、文化的な意味を持つ場所です。特に戊辰戦争以来の戦没者や、公共に尽くした先賢たちを祀る神社として、その歴史と意義は大きいものがあります。参拝者数も多く、特に初詣や例大祭などでは多くの県民や観光客が訪れます。また、アクセスも良く、松山市内の観光と合わせて訪れるのに便利な場所です。

Information

名称
愛媛縣護國神社
(えひめけん ごこく じんじゃ)

松山・道後温泉

愛媛県