松山野球拳おどりは、日本の愛媛県松山市で開催される祭りで、四国四大祭りの一つとして知られています。2021年までは「松山まつり」として親しまれていましたが、2022年から現在の名称に変更されました。
松山野球拳おどりの起源は、1966年(昭和41年)に松山市、松山商工会議所、南海放送、愛媛新聞社の四者で主催した「松山おどり」です。この「松山おどり」は1971年の第6回までその名称で呼ばれていました。以降、松山市の夏の風物詩として、多くの人々に愛されています。
毎年8月11日から13日までの3日間にわたり、松山市内で開催され、野球拳おどりや野球サンバの連(踊りのグループ)とチームが街を練り歩きます。11日には野球サンバ、12日には企業連が参加する野球拳おどり、13日には団体連による野球拳おどりが行われます。祭りのハイライトとして、松山港まつり(花火大会)も同時期に開催され、数十万人の来場者が訪れます。
1983年以降、南海放送サンパークで開催されていた花火大会は、2001年から松山港まつりと統合され、現在では中四国最大級の花火大会となっています。特に三津ふ頭から眺めるワイド・スターマインや特殊な花火は圧巻で、県内外から多くの観光客が訪れ、迫力ある花火を楽しんでいます。
祭りの1日目に行われる「野球サンバ」は、サンバのリズムに乗って軽快に踊りながら街を練り歩くイベントです。野球サンバでは、野球拳の動きを振り付けに取り入れることがルールとなっており、これは野球拳おどりの一形態と見なされています。野球サンバの曲には、新旧2バージョンがあり、参加する連はどちらのバージョンを使用しても構いません。
2日目と3日目には、メインイベントである「野球拳おどり」が開催されます。これは松山の郷土芸能であり、一般的に知られる「じゃんけんをして負けると服を脱ぐ」という要素はなく、純粋に踊りを楽しむイベントです。近年では、ロック調のアレンジが加わった新しいバージョンも登場し、若者を中心に参加者が増加しています。さらに、当日に参加できる市民連も用意されており、誰でも気軽に踊りに参加することが可能です。
かつて、松山市営球場では祭りの3日目に「ミュージックナイター」と呼ばれる盛大なクライマックスイベントが行われていました。このイベントでは、ブラスバンドの演奏や花火の打ち上げがあり、多くの観客が集まりました。しかし、2003年を最後に球場の老朽化により、翌年の2004年に球場が撤去されると同時に、ミュージックナイターも終了しました。これに伴い、祭りの期間中に堀之内(松山城の三之丸)に展開されていた露店も姿を消すことになりました。
2014年の「第49回松山まつり」では、台風11号の影響により、8月8日から10日まで松山城山公園で開催される予定だった「まつこいパーク」のイベントが中止となりました。さらに、9日に予定されていた野球拳おどり(団体連の部)も中止されました。しかし、10日に予定されていた野球サンバは通常通り開催され、祭り自体が全面的に中止されたわけではありません。この一部中止は、1966年の祭り開始以来初めての出来事でした。
松山野球拳おどりは、愛媛県松山市の伝統文化を守りつつも、現代の音楽や踊りのスタイルを取り入れ、幅広い世代が楽しめるイベントとして進化を続けています。特に、近年のロック調の野球拳おどりは、若者層の参加を促進し、地域の活気をさらに高めています。また、市民参加型のイベントも増え、訪れる観光客のみならず地元住民も一緒に楽しめる祭りとなっています。
松山野球拳おどりは、愛媛県松山市を代表する夏の祭りであり、その歴史と伝統は地域の誇りとなっています。祭りの中では、地元の人々だけでなく、観光客も一緒に踊りに参加し、松山の夏を盛り上げています。地域文化を継承しながらも、新しい要素を取り入れた松山野球拳おどりは、今後もさらに発展していくことでしょう。