愛媛県 » 松山・道後温泉

宮内家住宅

(みやうちけ じゅうたく)

宮内家住宅は、愛媛県伊予市灘町に位置する歴史的な建築物です。「宮内小三郎家」や「旧宮内邸」とも呼ばれており、2018年(平成30年)には建物内に地域交流施設「ミュゼ灘屋」がオープンし、地域の人々に親しまれる場所となっています。

宮内家住宅の概要

宮内家住宅は江戸時代に築かれた歴史的な建物であり、伊予市の重要な文化財として保存されています。1738年(元文3年)に建てられたこの建物は、江戸時代の街道文化や地元の歴史を感じさせる佇まいを今に残しています。また、建物内部は地域の人々が集える「まちの縁側」としても機能しており、地元の交流拠点としても役割を果たしています。

宮内家住宅の歴史

街道との関わり

1636年(寛永13年)、伊予松山藩から大洲藩に領地が変わる際、宮内九郎右衛門・清兵衛兄弟が大洲藩主加藤泰興から米湊村(現在の伊予市郡中地区)の海岸の開拓を許されました。この開拓により、宮内一族が近世の街並みを築き上げ、現在の伊予市にその面影を残しています。

文化財としての価値

2017年(平成29年)、宮内家住宅は伊予市の景観重要建造物第1号に指定されました。その翌年には、主屋・古隠居・隠居所・潮見堀の4件が国の登録有形文化財に登録され、歴史的な価値が認められました。2018年12月には、建物の一部である書院造の座敷を改装し、地域の交流施設「ミュゼ灘屋」が開館しました。

建築物の詳細

主屋の歴史

宮内家住宅の主屋は、1738年(元文3年)に建築されました。この建物は江戸時代において幕府の巡見使(視察の役人)や、伊能忠敬の測量隊が宿泊所として利用された歴史があります。1808年(文化5年)には、伊能忠敬の測量隊が上灘村から森村までの測量を行い、大雨により船で米湊町に到着した際に、この宮内家住宅が本陣(宿泊場所)として利用されたことが記録されています。

古隠居と隠居所

宮内家住宅には、1812年(文化9年)に建てられた「古隠居」と呼ばれる建物が存在します。この建物は、当時の隠居所として使用されていたもので、現在でもその佇まいを維持しています。また、1912年(明治45年)に建築された「隠居所」も敷地内に存在し、この建物は臥龍山荘の臥龍院を手掛けた中野虎雄によって設計されました。これらの建物は、時代を超えて現在も保存されています。

敷地全体の構成

宮内家住宅の敷地内には、主屋をはじめとする複数の建物が点在しており、それぞれが独自の歴史を持っています。特に「潮見堀」と呼ばれる堀は、敷地内に潮の満ち引きを利用して水を引き込んだ施設で、当時の生活や自然との共生を示す重要な遺構です。敷地全体が保存されており、歴史を感じさせる雰囲気が漂っています。

国の登録有形文化財としての宮内家住宅

2018年(平成30年)、宮内家住宅の主屋・古隠居・隠居所・潮見堀の4件が国の登録有形文化財に登録されました。これにより、建物の保存とともに、地域の歴史を伝える貴重な資産としての価値が認められています。登録有形文化財のプレートが建物の一角に設置され、訪れる人々にその価値を伝えています。

まちの縁側「ミュゼ灘屋」

宮内家住宅の一部を利用して開館した「ミュゼ灘屋」は、地域住民や観光客にとっての交流の場として機能しています。ここでは、地元の歴史や文化を学びながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。宮内家住宅の伝統的な建築様式を体感しながら、地域の魅力に触れることができる施設として、多くの人々に親しまれています。

Information

名称
宮内家住宅
(みやうちけ じゅうたく)

松山・道後温泉

愛媛県