太山寺は、愛媛県松山市に位置する真言宗智山派の寺院で、四国八十八箇所霊場の第五十二番札所として知られています。瀧雲山、護持院(ごじいん)と号し、十一面観世音菩薩を本尊としています。また、伊予十三仏霊場の第3番札所としても信仰されています。本尊の真言は「おん まか きゃろにきゃ そわか」で、御詠歌には「太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし」と詠まれています。
太山寺の創建には「一夜建立の御堂」という伝説が伝わっています。飛鳥時代の用明2年(586年)、豊後国(現在の大分県)臼杵の真野の長者が難波へ船で向かう途中、高浜の沖で大嵐に遭遇しました。長者が普段から信仰している観音菩薩に祈ると、山頂から光が差し込み、嵐が静まり無事に着岸できました。光の差した頂上に行ってみると、一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)がありました。長者はこの奇跡に感謝し、一宇を建立することを誓いました。豊後に戻り工匠を集めて木組みを整え、一夜で建立したと伝えられています。
その後、天平11年(739年)、聖武天皇の勅願によって行基が本尊の十一面観音を安置し、孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し、七堂伽藍を現在の地に整えたとされています。現存の本尊像は平安時代後期の作で、重要文化財に指定されています。また、本堂の奥中央に安置される十一面観音像(文化財指定なし)は、孝謙天皇奉納像と伝えられています。
現在の本堂(国宝)は、嘉元3年(1305年)に伊予国守護河野氏によって再建された三代目の建物です。近世には松山城主加藤氏の庇護を受け、太山寺は繁栄しました。境内には四つの門があり、一の門から本堂までは約0.8 kmの距離があります。
冠木門に切妻屋根を架けた簡素な門で、1955年に再建されました。この門の背後には経ヶ森山頂が広がっています。
仁王像を安置する入母屋造八脚門で、1305年に再建されました。門の右側には句碑として、小原六六庵の「法燈未絶太山寺,下人皆愛至誠歳回正氣旺洋矣何處雛〇喔,聲」や、種田山頭火の「もりもりあかる雲へあゆむ」が見られます。
入母屋造の楼門で、1683年に再建されました。この門をくぐると右手に厄除大師堂、鐘楼堂、正面に本堂が建っています。
鎌倉時代に建立された本堂は、明治37年(1904年)に重要文化財(当時の特別保護建造物)に指定され、昭和31年(1956年)に国宝に指定されました。嘉元3年(1305年)の建立と判明しており、木造建築としては愛媛県下最大規模を誇ります。和様を基調としながらも、虹梁などの細部には大仏様(天竺様)の様式が取り入れられています。
本堂内部は、参詣者が立ち入る部分を板敷きにし、さらにその奥を畳敷きの外陣とし、土間の内陣に分かれています。内陣には宮殿(厨子)があり、7体の十一面観音立像(秘仏)と共に、多くの仏像が安置されています。2014年には、50年ぶりにこれらの仏像が公開されました。
入母屋造本瓦葺き八脚門で、鎌倉時代に建立されました。明治37年(1904年)8月29日に指定を受けています。
像高155.4 cmで、本堂宮殿の中央に安置されています。寺伝では聖武天皇の奉納とされていますが、実際には平安時代後期の制作と考えられています。
明治34年(1901年)3月27日に指定を受けており、本堂宮殿の左右に3体ずつ安置されています。2体は檜材、4体はカツラ材の一木造りで、いずれも金色の輪光(頭光)を負っています。
太山寺の境内には数々の見どころが点在しています。参道には、立礼茶室の光津庵があり、毎月17日に茶会が行われます。参道奥の石仏群や水掛地蔵、子安観音堂など、多くの石像や仏像が並び、歴史的な雰囲気を醸し出しています。
太山寺には三か所の駐車場があります。二王門側の大駐車場は普通車50台と大型バス5台を収容でき、納経所下の中駐車場は普通車10台まで駐車可能です。また、三の門下近くの小駐車場は、祭事などのないときに普通車6台まで駐車できます。いずれも無料で利用できます。
太山寺は、歴史的建造物や仏像群、自然の景観が融合する魅力的な寺院です。訪れる際は、境内をゆっくりと散策しながら、歴史の息吹を感じてみてはいかがでしょうか。