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高畠華宵大正ロマン館

(たかばた けかしょう たいしょう かん)

高畠華宵大正ロマン館は、愛媛県東温市に位置する美術館であり、大正時代のロマンを感じさせる芸術作品を中心に展示しています。ここでは、画家・高畠華宵の多岐にわたる作品を鑑賞できるだけでなく、華宵の生涯や大正時代の文化についても学ぶことができます。

施設の概要

高畠華宵大正ロマン館は、高畠華宵が手がけた雑誌の表紙絵や挿絵、日本画など、非常に貴重なコレクションを多数収蔵しています。総数はおよそ4,300点にも及び、自筆作品をはじめ、書簡や写真などが展示されています。その豊富な作品群からは華宵の多彩な才能と創作の幅広さを感じ取ることができます。

設立の経緯

この美術館の設立のきっかけは、華宵の実兄である高畠亀太郎の孫嫁にあたる高畠澄江が、宇和島市にある華宵の実家の土蔵の整理を行った際、未発表の肉筆作品や手紙、写真などの遺品を発見したことにあります。澄江は、華宵の魅力を広く世に伝えたいという願いから、1990年に温泉郡重信町(現:東温市)にあったテーマパーク「足立の庄」の付随施設として、美術館を開設しました。これにより、華宵の作品を一般に公開し、その芸術的価値を広めることができるようになりました。

足立の庄からの独立

2001年、テーマパーク「足立の庄」が閉鎖され、その後跡地は「愛媛わんわん村」として再開されましたが、こちらも2006年8月31日で閉鎖されました。しかし、高畠華宵大正ロマン館はテーマパークから独立し、現在も独立運営を続けており、来館者に華宵の芸術を楽しんでもらえる場所として営業しています。

来館者数と運営の課題

美術館の入場者数は、オープン当初の年間7万人から、2006年までには年間7,000人にまで減少しました。これは、立地が郊外にあることや、テーマパークの閉鎖による集客力の低下が主な要因とされています。土地は民間企業からの賃借であったため、運営上の課題も多く存在しました。

大正イマジュリィ学会の設立

2004年には「大正イマジュリィ学会」が設立され、一般からも会員を募ることで、華宵の芸術をより多くの人々に知ってもらう取り組みが始まりました。学会は、大正時代の美術や文化を研究し、華宵の作品を中心にその魅力を発信しています。

運営の変遷と再オープン

2015年頃からは、美術館の開館日が土・日・月のみとなり、さらに2021年には土日のみの開館となりました。2021年8月には、建物の補修工事のため一時閉館しましたが、同年10月2日に再オープンし、高畠華宵没後55年の記念特別展として、山中現と渡邊加奈子の版画展を開催しました。この特別展は、11月まで開催され、来館者に新たな華宵の世界を楽しんでもらうことができました。

館長の交代

2023年1月、美術館開館以来館長を務めてきた高畠澄江が勇退し、その後任として、澄江の実娘である高畠麻子が2代目館長に就任しました。新しい館長のもと、美術館はさらに進化し、より多くの人々に愛される施設を目指しています。

施設の特徴とサービス

カフェ・カショー

美術館には、展示室だけでなく、カフェ「カフェ・カショー」も併設されており、来館者がゆっくりとくつろぎながら華宵の作品について語り合える空間が用意されています。ここでは、華宵に関するグッズや関連書籍も販売されており、訪れた人々が華宵の世界をより深く楽しむことができます。

東温ギャラリー

展示室の一部は「東温ギャラリー」として、一般に貸し出されています。これにより、地元のアーティストや団体が、自身の作品を展示し、発表する場として活用できるようになっています。

開館日と利用案内

高畠華宵大正ロマン館は、毎週土・日曜日に開館しており、臨時休館がある場合もあります。平日に訪れる場合は、事前予約が必要となりますので、公式ウェブサイトなどで確認の上、来館の計画を立てることをお勧めします。

高畠華宵の生涯 - 少年少女を魅了した画家

高畠 華宵(たかばたけ かしょう、1888年(明治21年)4月6日 - 1966年(昭和41年)7月31日)は、日本の画家であり、本名は高畠幸吉です。彼は愛媛県宇和島市裡町に生まれ、京都市立美術工芸学校で日本画を学びました。彼の作品は、大正から昭和初期にかけて、多くの少年少女の間で絶大な人気を博しました。彼の兄である高畠亀太郎は、宇和島市長や衆議院議員を務めた人物です。

栄光の日々 - 高畠華宵の台頭

高畠華宵は、1905年に京都市立美術工芸学校を中退し、関西美術院で学んだ後、上京して寺崎広業に師事しました。当初は生活に困窮していましたが、1911年(明治44年)に津村順天堂「中将湯」の広告画を発表し、一躍有名になりました。彼のシャープなペン画は、アール・ヌーヴォーやユーゲントシュティールの影響を受けたもので、当時の広告イラストとは一線を画していました。

少女画報と少年雑誌での成功

華宵の人気は、『少女画報』や『少年倶楽部』といった雑誌での挿絵を通じてさらに高まりました。彼の描く美少年・美少女や美人画は、大正時代の日本に大きな影響を与え、竹久夢二らと並ぶ人気画家となりました。彼の意匠を使った便箋や封筒は当時の若者に大変人気があり、ファンからの手紙が殺到するほどでした。

華宵御殿 - 画家の趣味が詰まった異国情緒あふれる自邸

高畠華宵は鎌倉に「華宵御殿」と呼ばれる自邸を構えました。これは、彼の趣味とセンスが凝縮された建物で、全国から多くの女性ファンが訪れました。特に女学生の間で人気があり、華宵御殿を見たさに家出をする女性もいたと言われています。

戦時下の変化と戦後の復活

1930年代後半になると、戦時色が強まる中で華宵の作品は次第に雑誌から姿を消し、彼の人気も徐々に薄れていきました。しかし、戦後には彼の作品が再評価され、特に1960年代に首都圏で開催された回顧展では大きな反響を呼びました。この回顧展をきっかけに、彼の作品は再び多くの人々に支持されるようになりました。

華宵の晩年と再評価

高畠華宵の晩年は、貧困と健康問題に悩まされていました。しかし、彼を支援したファンや友人の尽力により、再評価の波が訪れました。1966年に彼が亡くなった際には、挿絵画家として初となる勲五等双光旭日章が授与され、その功績が称えられました。

華宵の画風 - 独自の美少年・美少女像

華宵の画風は、独特の中性的で妖艶な雰囲気を持つ人物画が特徴です。彼が描く美少年や美少女、そして美人画は、一目で彼の作品と分かるほどの個性を持っていました。特に和装や洋装を含む幅広いファッションを取り入れた彼の作品は、時代のファッションリーダーとしての役割も果たしていました。彼の作品には、常に新しいデザインが取り入れられており、同じ柄の着物を二度描いたことがないという逸話も残っています。

華宵の代表作「移り行く姿」

彼の代表作の一つである「移り行く姿」は、明治から昭和初期にかけての女性ファッションの変遷を描いた六曲一双の屏風絵です。この作品には60人以上の女性が描かれており、華宵が寝食を忘れて描き上げた渾身の力作です。

Information

名称
高畠華宵大正ロマン館
(たかばた けかしょう たいしょう かん)

松山・道後温泉

愛媛県