栄福寺は、愛媛県今治市玉川町に位置する高野山真言宗の寺院であり、四国八十八箇所霊場の第五十七番札所にあたります。この寺院は、府頭山、無量寿院(むりょうじゅいん)という別称を持ち、本尊には阿弥陀如来を祀っています。栄福寺は、その歴史的な背景と信仰の対象として、多くの参拝者が訪れる場所です。
本尊真言:おん あみりた ていせい からうん
ご詠歌:この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏
栄福寺は、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師(空海)が瀬戸内海の風波海難の平穏を祈るため、府頭山の山頂で護摩供を修した際に創建されたと伝えられています。満願の日には、阿弥陀如来が海上に現れ、その姿を山頂に引き上げて本尊としました。
貞観元年(859年)、大安寺の行教上人が宇佐八幡から京都山城に分社の男山八幡(石清水八幡宮)を創建するために近海を航行中、暴風雨に遭い、この地に漂着しました。上人は府頭山の形状が男山に似ていること、また阿弥陀如来が八幡菩薩の本地仏であることから、八幡明神を祀り、神仏習合の「勝岡八幡宮」を創建しました。
その後、栄福寺は源頼義や河野親経によって復興され、山内に清泉が湧くことから「石清水八幡宮」と名付けられました。しかし、中世の戦乱により寺院は一時荒廃しました。江戸時代には「長福寺」や「乗泉寺」と名を変えながらも信仰を集め、最終的に寛政4年(1792年)に「栄福寺」と改称され、現在に至ります。
明治初年の神仏分離令により、阿弥陀堂と金毘羅社は栄福寺境内に移され、栄福寺は真言宗寺院として独立しました。昭和8年(1933年)以降、足腰守りのお寺としても信仰を集めており、特に足の悪かった少年が栄福寺で治癒したという話が伝わっています。
栄福寺の本堂には本尊阿弥陀如来坐像が秘仏として祀られており、通常は非公開ですが、特別な機会に開帳されることがあります。
大師堂では弘法大師像を拝観することができ、多くの参拝者が訪れます。
薬師堂には薬師如来半跏像が祀られ、病気平癒を願う参拝者に親しまれています。
金毘羅堂は金比羅権現を祀っており、厄除けや航海安全を願う人々の信仰を集めています。
鐘楼も境内の一部として存在し、厳かな雰囲気を醸し出しています。
境内には弘法大師子の句碑「四国路は遍路道より明けの春」が設置され、参拝者の心を和ませています。
栄福寺は参拝しやすい境内となっており、本堂の右手には大師堂、その隣には薬師堂、金毘羅堂、庫裏・納経所があります。
演仏堂は現住職・白川密成の兄で建築家の白川在の設計によるもので、モダンなデザインが特徴です。
宿坊はありませんが、駐車場が10台分(大型不可)用意されており、参拝者は100円の料金で利用できます。
2011年に設置されたトイレは、国産材のヒノキなどを用いたユニークなデザインで、「2012年度グッドデザイン賞」を受賞しました。このトイレは参拝者からも好評を得ており、身体障害者用の設備も整っています。
四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の今治駅から約5.6 kmの距離にあります。
今治桟橋や今治駅からせとうちバスを利用し、「大須木」バス停で下車、そこから徒歩約1.4 kmで到着します。松山市駅からも特急バスが運行しており、「大須木」で下車することができます。
愛媛県道155号今治丹原線の四村から約1.3 km、または西瀬戸自動車道(西瀬戸しまなみ海道)今治ICから約4.3 kmの距離にあります。
栄福寺の奥の院として「伊予の石清水八幡宮」があり、八幡山の山頂に鎮座しています。この神社は、伊予の国庁に関連するとされ、かつての国庁の中心地であったと推定されています。
八幡山には、伊加奈志神社や三島新宮神社があり、栄福寺との関連性も深いです。これらの施設も、参拝の際に訪れると、さらに歴史を感じることができます。
四国八十八箇所霊場では、栄福寺の前には第五十六番札所の「泰山寺」が、次には第五十八番札所の「仙遊寺」が位置しています。
栄福寺は、四国八十八箇所霊場の中でも、歴史と信仰が深く根付いた寺院です。阿弥陀如来を本尊とし、足腰守りのお寺としても多くの人々から信仰を集めています。豊かな歴史と自然に囲まれた境内を訪れ、心静かなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。