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能島

(のしま)

能島は、瀬戸内海のほぼ中央に位置する無人島で、愛媛県今治市(旧:越智郡宮窪町)に属しています。島は伯方島と大島の間にある宮窪瀬戸に位置し、鵜島の南西に属島である鯛崎島を有しています。この地は古くから戦略的に重要な位置にあり、中世には村上水軍の本拠地として能島城が築かれました。

能島城と村上水軍

村上水軍の歴史

中世において、能島は村上水軍の一派である能島水軍(野島氏)の本拠地として知られていました。この地域は瀬戸内海航路の要所であり、宮窪瀬戸の東側で能島と鵜島が潮の流れを遮る形となっており、干満時には急流を生じます。この激しい潮流は自然の要害として機能し、通過する船に対して帆別銭(一種の通行料)を徴収していました。室町時代以降、能島城を築き、この海域の制海権を確立しました。

能島城の構造

能島城は本丸、二の丸、三の丸、出丸といった複数の防御施設を有し、規模も大きなものでした。しかし、能島には水源がなく、近隣の鵜島や木浦から水を補給していました。能島城は中世の水軍城としても重要な存在であり、周囲の海域を支配する拠点となっていました。

能島水軍の終焉

戦国時代末期、村上氏は豊臣秀吉との戦いに参戦しましたが、敗北を喫しました。1588年(天正16年)、秀吉の海賊停止令により水軍の歴史は終焉を迎え、能島城も廃城となりました。それ以降、能島は無人島となり、城の遺構は良好な状態で保存されてきました。

能島の文化財としての価値

国指定史跡としての能島城跡

1953年(昭和28年)、能島城跡は国の史跡に指定されました。1973年(昭和48年)には愛媛県教育委員会によって「能島水軍の里」が設置され、その後も度々文化財調査が行われてきました。これにより、能島城の遺構や当時の生活様式に関する理解が深まり、歴史的価値が再評価されています。

続日本100名城に選定

2017年(平成29年)4月6日、能島城は続日本100名城(178番)に選定されました。これは、能島城が日本の歴史的遺産として高い評価を受けていることを示しています。この選定により、能島城への関心がさらに高まり、観光地としての魅力も増しています。

能島の観光資源

激しい潮流と観光体験

能島の周囲では干満の差による激しい潮流が見られ、特に宮窪瀬戸では急流が渦巻く様子を観察することができます。この独特の潮流は観光資源としても注目されており、村上水軍博物館前から宮窪町漁業協同組合が主催する観光船が出航し、能島付近での潮流体験が楽しめます。

桜の名所としての能島

能島のソメイヨシノは、1931年(昭和6年)に宮窪村の有志により植樹されました。長らく桜の満開時期には、季節船が運航され、花見客で賑わいました。しかし、2018年(平成30年)の西日本豪雨や2019年(令和元年)の台風による土砂災害の影響で、樹木の根が斜面崩壊や岩盤崩落の原因とされました。これにより、2022年(令和4年)には遺構や遺物の保護を目的に、ソメイヨシノを含む樹木の大部分が伐採され、根の除去が行われました。

能島の歴史再現プロジェクト

村上海賊の娘の影響

和田竜の小説『村上海賊の娘』(2014年本屋大賞受賞)の影響で、能島城や村上水軍に対する関心が再燃しています。この歴史的背景を基に、能島城の再現プロジェクトが進行中であり、本丸、二の丸、三の丸、東南出丸、吊り橋、鯛崎出丸といった中世の構造物を復元し、観光資源としての魅力を高めています。

能島の今後

能島は、瀬戸内海における重要な歴史的遺産としての役割を持ち続けています。今後も文化財保護の観点から、遺構の維持・管理が求められます。また、観光資源としての活用も進められ、歴史的価値と自然の魅力を融合させた観光地として、多くの人々に訪れてもらえる場所となることが期待されています。

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能島
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