伯方島は、愛媛県今治市に位置し、瀬戸内海のほぼ中央に位置する芸予諸島の一部を構成する島です。この島は、「伯方の塩」の名前の由来となった地であり、海運と造船の島としても知られています。島全体が美しい自然に囲まれ、観光地としても多くの魅力を持っています。
伯方島は、離島であったものの、瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)の開通により、本州および四国と「陸続き」となりました。島の南部には伯方島インターチェンジがあり、車でのアクセスも便利です。島の北には生口島、東には岩城島、南には大島、西には大三島が海を挟んで位置し、これらの島々とも繋がっています。
また、行政区画としては、2005年1月16日に旧越智郡伯方町が今治市に合併されたことにより、今治市の一部となりました。
宝股山は、標高303.7mで、伯方島の最高峰です。別名「伯方富士」とも呼ばれ、郷土富士の一つとして親しまれています。山頂からは、瀬戸内海の美しい眺望が広がり、島全体を一望することができます。
開山は、桜の名所としても知られており、春には美しい桜が咲き誇ります。展望台からは、周囲の島々や瀬戸内海の絶景を楽しむことができ、多くの観光客が訪れます。
伯方島周辺の海峡は、急潮で知られており、特に大島との間に位置する船折瀬戸や、大三島との間の鼻栗瀬戸は急流が激しいことで有名です。このため、潮の流れを利用した釣りなども楽しむことができ、釣り愛好家にとっても魅力的な場所となっています。
伯方島は豊かな自然に恵まれており、2012年に出版された『伯方島の生物―第三次伯方島生物総合調査報告2012―』には、この島に生息する多様な生物相が記録されています。特に、4種類のウスバカゲロウが確認されており、生物多様性が豊かな地域として注目されています。
伯方島の南岸、船折瀬戸の近くにある矢崎浜には、古くから伝わる「えんこ石」の伝説があります。昔、この地には河童(エンコ)が住んでおり、村人たちを困らせていました。村人が一計を案じて河童を捕まえた際、河童は「もう二度と悪さはしません」と約束し、その証として大きな石を残しました。この石は「えんこ石」と呼ばれ、今でも矢崎浜に石碑として残されています。
この物語は、子供が一人で海で遊ぶことの危険性を戒めるための教訓話として伝えられています。同様の河童話は、愛媛県内の他の地域にも伝わっており、古くからの民間伝承が息づいています。
伯方島は、藩政期から製塩業が盛んで、今治藩によって塩田を用いた製塩が奨励されていました。現在でも「伯方の塩」として全国的に知られる製塩業が続いており、島の重要な産業の一つとなっています。また、造船業も盛んで、島内には4つの造船所があり、周辺の島々からも多くの造船工が通ってきます。
さらに、農業では柑橘類や花き(菊など)の栽培が行われており、水産業では沿岸漁業のほか、クルマエビの養殖も行われています。これらの産業は、伯方島の経済を支える重要な要素です。
開山は、伯方島の南西部に位置し、桜の名所としても知られています。春には山全体が桜色に染まり、訪れる人々を魅了します。展望台からは、瀬戸内海の美しい風景を一望でき、特に夕日の時間帯には幻想的な景色を楽しむことができます。
禅興寺は、伯方島の歴史を感じさせる古刹で、曹洞宗の寺院です。境内には、第十東予丸沈没事故の慰霊塔があり、島の歴史を伝える場所として地元の人々から大切にされています。
伯方島は、本州四国連絡道路の一つであるしまなみ海道(西瀬戸自動車道)が通っており、伯方・大島大橋で大島と、大三島橋で大三島と結ばれています。島内には伯方島インターチェンジがあり、国道317号と愛媛県道50号伯方島環状線が走っています。
伯方島には、木浦港(きのうらこう)、北浦港、熊口港(くまごこう)、尾浦港の4つの港があります。木浦港からは今治港と土生港(因島)を結ぶ快速船が運航しており、一日9往復の便があるため、周辺の島々や本州とのアクセスが便利です。
また、かつては芸予観光フェリーによる今治港 - 土生港間の航路も運航されていましたが、2008年5月末をもって廃止されました。現在は定期航路がなくなったものの、観光シーズンには観光船などが運航されることがあります。
伯方島は、美しい自然と豊かな歴史、そして海に囲まれた魅力的な観光地です。瀬戸内しまなみ海道の開通により、アクセスも良くなり、多くの観光客が訪れるようになりました。観光やレジャーだけでなく、島の産業や文化にも触れながら、伯方島の魅力を存分に堪能してください。