光林寺は、愛媛県今治市玉川町畑寺に位置する高野山真言宗の寺院です。山号は摩尼山、院号は寶塔院(ほうとういん)で、本尊は不動明王を祀っています。また、新四国曼荼羅霊場の第四十一番札所および四国三十六不動尊霊場第二十番札所としても知られています。
御詠歌: 「聞こえ来る 丹生玉川の 摩尼山の 恵みとおとし 大聖の寺」
童子名: 因陀羅童子
童子真言: おん いんだらや そわか
光林寺は、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を受けた徳蔵上人が開山し、白山権現(後の白山神社)を建立したのが起源とされています。当初は法相宗と三論宗の寺でしたが、大同元年(806年)に円識上人により真言宗に改宗されたと伝えられています。
天禄3年(972年)に火災で全山が焼失しましたが、長久3年(1042年)に後孔雀天皇の勅願で伊予守源頼義が堂塔を再建しました。さらに、元中二年(1385年)には南朝の長慶天皇が光林寺に避難されたとも言われています。元禄14年(1701年)には、今治城主によって開山1000年を記念し本堂が再建されました。
別説では、秦氏が当地に来訪し、白山権現と愛宕権現を祀ったとされています。この「畑寺」という地名も、秦氏の寺が由来であると伝えられています。
光林寺の入り口に立つのが仁王門です。威厳ある山門は、訪れる者を迎え入れます。
本尊は不動明王で、新四国曼荼羅霊場の本尊として祀られています。また、四国三十六不動霊場としても信仰の対象となっています。
不動明王が祀られており、四国三十六不動尊霊場の本尊です。護摩焚きの儀式が行われ、祈願成就を願う人々が多く訪れます。
この堂内には、日展評議員である桒山賀行が手がけた稚児大師と八祖大師が安置されています。美しく彫刻された像は、拝観者に感動を与えます。
1階には阿弥陀三尊が祀られ、2階から4階は位牌堂、5階は展望室となっています。歴史的な建造物として、多くの参拝者や観光客が訪れています。
阿弥陀如来坐像は、かつて奈良原神社の別当であった蓮華寺の本尊でしたが、神仏分離の影響で光林寺に移されました。現在も修復を経て、多くの信者によって祀られています。
観音信仰の対象となる十一面観音が祀られており、参拝者に救済をもたらす仏として崇敬されています。
南北朝時代に南朝の天皇であった長慶天皇を供養するための塔が建立されています。
水子地蔵は、幼くして亡くなった子どもたちの供養のために祀られています。多数の地蔵石仏や供えられた風車が、訪れる者に静かな祈りの場を提供しています。
40番 別宮大山祇神社 -- 41番 光林寺 -- 42番 遍照院
19番 玉蔵院 -- 20番 光林寺 -- 21番 満願寺