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法佛山 遍照院

(ほうぶつざん へんじょういん)

遍照院は、愛媛県今治市菊間町に所在する歴史ある寺院で、真言宗豊山派に属します。正式名称は「法佛山 遍照院 日輪寺(ほうぶつざん へんじょういん にちりんじ)」といい、本尊は聖観音、開基は弘法大師(空海)です。また、四国八十八箇所の番外札所、新四国曼荼羅霊場の第42番札所として知られています。その名の通り、厄除け祈願で広く信仰され、「厄除大師」の別名でも親しまれています。

概要

遍照院では、毎年2月3日の節分を中心に「節分大祭」が盛大に行われ、厄除け護摩祈祷を1月から2月にかけて執り行っています。参拝者は「厄を払うための風習」に従い、鐘楼門より草鞋を履いて参拝します。参拝後に草鞋を焚き上げることで、厄を祓うとされています。

節分大祭と鬼瓦御輿

節分大祭では、菊間町の特産品である菊間瓦を用いた「鬼瓦御輿」が登場し、42歳の厄年を迎えた男性たちがこの御輿を担いで町内を練り歩きます。御輿が境内に入ると、「福は内、鬼も内」という独特な掛け声が響き、61歳の厄年の男女が本堂から豆や餅をまくという伝統的な行事が行われます。これにより、訪れた参拝者は厄を払うと同時に、無病息災を祈願します。

文化財としての鬼瓦

遍照院の鬼瓦は1983年に今治市の指定有形文化財に指定されており、現在は同市内の「かわら館」に収蔵されています。この鬼瓦は、強大な力で厄を払うと信じられ、地域の文化遺産としても高く評価されています。

歴史

遍照院の歴史は、平安時代初期にさかのぼります。弘仁6年(815年)、空海(弘法大師)が四国巡錫中に当地を訪れ、霊感を受けて聖観音を刻み、寺院を建立したことが始まりとされています。また、空海は自らの像を刻み、それを厄除けの仏として安置しました。この厄除けの秘法は、後世にわたって伝えられ、厄除け祈願の寺として知られるようになったのです。

その後、多くの名僧がこの寺を継承し、時代を重ねるにつれて隆盛を極めました。明応年間には、高仙城主得井通敦が田園を寄進し、さらには安芸の福島氏や伊予の加藤氏が土地を寄進したことで、寺院の財力と影響力が増し、寺門はますます栄えていきました。

しかし、天正年間には兵火により二度の火災に見舞われ、すべての堂宇が焼失してしまいます。奇跡的に厄除大師像のみが残ったことから、住民たちはこの像の霊力に驚嘆し、再び篤い信仰を寄せるようになりました。この信仰がきっかけとなり、遍照院は再興され、松山藩主の特別祈願所として多くの信仰を集め、隆盛を取り戻しました。

境内の見どころ

仁王瓦と仁王門

遍照院の境内には、さまざまな見どころがあります。特に目を引くのは、北側の国道に面した仁王門です。仁王門には通常の仁王像ではなく、鬼瓦が設置されており、その迫力ある姿は参拝者を圧倒します。

鐘楼門

鐘楼門は境内の東側に位置し、参拝者を出迎えます。この門をくぐり抜けると、本堂やその他の堂宇へと続く参道が広がっています。

本堂と厄除大師像

本堂には、遍照院の本尊である厄除弘法大師像が安置されています。この像は21年に一度開帳される秘仏で、前回の開帳は平成29年(2017年)2月11日と12日に行われました。次回の開帳を楽しみに、多くの信徒が厄除け祈願に訪れています。

見返しのソテツと川柳碑

境内の「見返しのソテツ」も、訪れる人々の注目を集める植物です。その名の由来は、独特な枝ぶりと風格から、思わず見返してしまうほどの美しさを持つことに由来します。また、境内には多くの川柳碑が建てられており、地元の川柳愛好家たちが詠んだ句を楽しむこともできます。代表的な句には、蚊信の「ひたすらに生き雨降れど風吹けど」や三柳子の「貸す力ないが人情ほっとけず」といったものがあります。

前後の札所

遍照院は、新四国曼荼羅霊場の第42番札所で、隣接する札所は以下の通りです。

41番札所:光林寺
43番札所:蓮生寺

交通アクセス

遍照院へのアクセスは以下の方法があります。

厄除けや健康祈願で訪れる参拝者が後を絶たない遍照院は、その歴史と風格、そして豊かな文化財を通して、今なお多くの人々に信仰され続けています。節分の時期にはぜひ訪れて、独特な厄除け行事を体験してみてください。

Information

名称
法佛山 遍照院
(ほうぶつざん へんじょういん)

今治

愛媛県