村上三島記念館は、愛媛県今治市上浦町に位置する書道美術館です。書家・村上三島の故郷であるこの地に、彼の書道作品やコレクションを中心に展示されています。村上三島は、現代書道の巨匠と称される日本を代表する書家の一人であり、彼の作品や功績を後世に伝えるためにこの記念館が設立されました。
村上三島記念館は、1982年に「上浦町歴史民俗資料館」として開館しました。その後、1990年には展示室や収蔵庫の拡張が行われ、600席の多目的ホールを備えた上浦芸術会館が増築されました。さらに、2007年には第1展示室に村上三島のアトリエが大阪府高槻市から移設・再現され、より一層彼の芸術世界を感じられる施設となりました。
村上三島記念館には、村上三島自身が収集した古墨・硯・絵画などのコレクションが展示されています。また、彼が呼びかけたことで、西川寧、安東聖空、日比野五鳳、青山杉雨、小坂奇石といった日本を代表する書道家たちから寄贈された多くの作品も収蔵されています。総館蔵品数は約3,800点に及び、そのうち村上三島の遺作は約850点を占めています。
記念館にはミュージアムショップも併設されており、村上三島に関連する書籍やグッズを購入することができます。また、多目的ホール(600席)は、書道教室や講演会、コンサートなど様々なイベントに利用されています。
村上三島記念館へのアクセスは以下の通りです。
記念館の周辺には、以下の観光スポットがあります。
村上三島(むらかみ さんとう、本名 村上 正一、むらかみ まさかず)は、1912年(大正元年)8月25日に愛媛県越智郡上浦町(現在の今治市大三島)で生まれました。幼少期を大三島で過ごした後、大阪府三島郡(現在の高槻市)に移り住みます。「三島」という雅号は、大三島と三島郡から取られました。
中学生時代から書道に親しんでいた三島は、大阪市立泉尾工業学校在学中に股関節カリエスを患い、足が不自由になるという苦難に見舞われます。そのため15歳の時に書道の道に進むことを決意しました。1927年(昭和2年)には片山萬年に、1945年(昭和20年)には辻本史邑に師事し、書道の腕を磨きました。
1948年(昭和23年)には、日展に書道部門が新設されたことをきっかけに「杜甫九日詩」を発表し、見事入選を果たしました。その後も、1949年(昭和24年)と1952年(昭和27年)に日展で特選に選ばれ、1964年(昭和39年)には「秋分思子」で日展文部大臣賞、1968年(昭和43年)には「杜甫贈高式顔詩」で日本芸術院賞を受賞しました。
村上三島の書風は、中国・明末の書家、王鐸の草書連綿体(連綿草)を研究し、篆書、隷書、楷書、行書、草書を駆使して、躍動感に満ちた格調高い中にも温かさを感じさせる独自のスタイルを確立しました。また、書道の革新にも意欲的であり、1994年(平成6年)には話し言葉を作品化する「読める書」を提唱し、書道界に新しい風を吹き込みました。
日展常務理事や日本書芸院理事長などを歴任した他、村上三島は自ら書道団体「長興会」を設立し、後進の育成にも力を注ぎました。また、日中間の書道の交流にも積極的に取り組み、しばしば訪中しました。1993年(平成5年)には、中国人以外では初となる上海美術館(上海博物館)の特別顧問・特別研究員に就任し、国際的な書道の架け橋となりました。
1985年(昭和60年)には日本芸術院会員に選ばれ、1988年(昭和63年)には勲三等旭日中綬章を受章。さらに、1998年(平成10年)には文化勲章を受章し、文化功労者としての顕彰を受けました。晩年には故郷の大三島に作品を寄贈し、これを受けて旧上浦町に村上三島記念館が建設されました。2005年(平成17年)11月20日、心不全のため93歳でこの世を去りましたが、その功績は今もなお色褪せることなく、多くの人々に感銘を与え続けています。