三島神社は、愛媛県四国中央市三島宮川に位置する歴史ある神社です。奈良時代から続くこの神社は、地元の人々に愛され、毎年多くの参拝者が訪れています。祭神として祀られているのは、大山祇神をはじめ、高龗神、上津比咩神、下津比咩神、そして雷神です。それぞれの神々は自然や水、雷を司り、人々の生活に深く関わっている神々です。
三島神社の創建は、奈良時代初期に遡ります。宇摩の大領に任じられた越智玉澄(おちたますみ)は、新館を建て、毎月大山祇神社(愛媛県今治市大三島町)へ参拝していました。しかし、彼が年を取って参拝が困難になったため、養老4年(720年)8月23日に大山祇神社の神霊をこの地に勧請したのが三島神社の始まりです。以来、約1300年もの間、三島神社はこの地域で重要な神社としてその存在を保っています。
中世に入り、三島神社はさらに発展を遂げます。延徳2年(1490年)には旧本殿が造営され、神社の重要性が高まりました。この時期には地域の信仰の中心地としての役割を果たし、多くの人々が訪れる場所となりました。
江戸時代に入ると、三島神社はさらなる変貌を遂げました。文政4年(1821年)8月には、随神門が建造され、神社の威厳を一層高めました。この随神門は、その美しい建築様式と堅固な構造で知られています。
明治時代には、1890年(明治23年)に社殿が再建され、さらに1962年(昭和37年)4月1日には、旧本殿と随神門が四国中央市の指定文化財に指定されました。これにより、三島神社は地域の歴史的な価値を持つ場所として認識されるようになりました。
三島神社では、毎年二つの大きな祭りが開催されます。
毎年7月23日から7月25日にかけて、三島港祭りが行われます。この祭りは地元の人々にとって特別なものであり、多くの参拝者が訪れ、賑やかに祝われます。伝統的な神事や行事が行われ、神社の神々に感謝を捧げる機会となっています。
10月21日から10月23日にかけて開催される秋祭りも、三島神社の大切な行事です。この祭りでは、豊穣を祝うとともに、神々に感謝を捧げます。地元の人々や観光客が一堂に会し、神社の境内は活気に満ちます。
三島神社の境内に足を踏み入れると、まず目に入るのが立派な鳥居です。この鳥居をくぐると、拝殿があり、そこに参拝者は神々に祈りを捧げます。拝殿の後ろには、かつて本殿として使われていた旧本殿もあり、歴史的な価値を持つ建物です。
文政4年(1821年)に建造された随神門は、三島神社の象徴的な建築物の一つです。この門は文化財に指定されており、その歴史的価値と美しさから、多くの参拝者の注目を集めています。
三島神社の境内には「龍宝石」と呼ばれる伝説的な石があります。この石は、予讃境の海中にあったと言われており、古代から信仰の対象とされてきました。龍にまつわる伝説が残るこの石は、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
三島神社の境内には、古代の祭祀が行われたとされる「磐座」があります。この場所は、古代から神聖な場所として崇められており、三島神社の歴史を物語る重要な遺跡です。
元亀2年(1571年)に福島正則によって奉納されたと伝わる石燈籠も、三島神社の重要な社宝です。この石燈籠は、神社の歴史と共に歩んできたものであり、当時の人々の信仰の深さを感じさせます。
三島神社には、鎌倉後期から室町前期にかけて作られた20体の御神像が保管されています。これらの像は、神々の姿を表しており、古くから人々の崇拝の対象となってきました。
四国中央市の指定有形文化財である旧本殿は、延徳2年(1490年)に建立されました。木造建築で、伊予三島市最古の建造物とされています。1985年(昭和60年)に解体修理され、現在もその美しい姿を保っています。
随神門は三間一戸の重層構造で、文化13年(1816年)に再建計画が浮上し、文政4年(1821年)に上棟式が行われました。完成は文化13年(1830年)で、当時は讃岐国の金刀比羅宮大門に次ぐ規模の楼門として知られていました。現在もその荘厳な姿を残し、神社の象徴的存在です。
三島神社へはJR予讃線の伊予三島駅から徒歩約15分でアクセスできます。また、せとうちバスの三島港や御旅所停留所から徒歩約2分の距離にあり、交通の便も良好です。
三島神社は、その長い歴史と多くの文化財を有し、愛媛県四国中央市における重要な神社です。豊かな自然に囲まれた神域と、多くの祭事や伝説が人々を引き寄せ、訪れるたびに新たな発見があります。歴史を感じさせる建築物や社宝、そして地域の人々に愛され続ける三島神社は、ぜひ訪れてみる価値のある場所です。